大河ドラマ「光る君へ」に、藤原一族の謀略によって退位・出家(第10回、3月10日放送)させられた天皇が出てきます。この花山帝(花山院)がわが地元を訪れ、川合の「小石」姓発祥のきっかけをつくったとする伝説が三輪村史に紹介されています(第3集15ページ「小石姓の由来」)。
「甚だしいこじつけ」「作り話」だとしても、そういうウソがこの地で生まれたこと自体が「興味深い」「注目すべき」ことであるとする三輪村史の腑に落ちる解釈・分析にはいつもながら舌を巻きます。
小石姓の名付け親?「花山帝」大河ドラマに登場
小石姓の由来
(復刻版三輪村史第3集より引用 p.15~「小石姓の由来」全文)明治初年壬申戸籍によると、川合村九十九戸中小石姓は十九戸を占め、大原姓二十四戸に次ぐ二番目の多数である。小石一統には地の神が祭ってあるが、神祠の覆殿内の記録によれば、元治1864~元年には二十二戸あり、その時同時に記したものに赤谷、白谷、黒谷は小石のわかれとして三十名を揚げてある。姓氏については項を改める筈であるが、そのように小石一族は川合に発展した。神祠の中に、御神体に代わるべく納められた巾十七糎高さ三十六糎の板の裏面に「小石之由来」と題して左の通り記載してある。
抑〃人皇六十五代花山帝位984~986ハ佛道御帰依深く都をしのび出玉ひて山科の里花山院にて御髪をおろさせられ玉ひ、□□参□あらせられしとき霊夢に依り、河内の国名川なる佛眼上人を召しつれられ西国三十三所御詠歌なされ途次御川国乳房山に御足運ばさられ、里の童に小石を拾わせられ般若波羅蜜多心経を一字宛書かせられ眼薬岩祠へ納めらる。佛眼上人読経の久徳に依り霊水流れ出づ、小石をあつめし童の子孫川合の里に住し小石を姓となす
長和1012~五丙辰如月録之 正保1644~元年神無月 改識
久しい前からあった伝説を正保1644~元年に改めて記したことになっている。甚だしいこじつけの説と一笑に附されそうであるが、花山院遊行伝説が此の地にも残された事は興味がある。
□村大入は花山天皇の伝説で有名であるが、歴史として信ずべきものはない。花山天皇は在位二年にして退位、剃髪して、諸国の名刹を巡歴して三河路に入られたという伝説はあるので、その昔小石姓発生の由来をこの伝説に結びつけて物識りが作ったとしても、大入の花山伝説と共に、花山院遊行伝説が此の地にまで行き渡ったことは注目すべきであろう。
一覧に戻る
ご指摘、ご助言等お寄せ下さい。
間違い等の指摘やアドバイスをいただけるとありがたいです。
こちらのページ「ご意見POST」へお願いします。